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上田市芳泉寺に小諸藩初代藩主・仙石秀久の墓参り

上田城の西、芳泉寺に小諸藩初代藩主であり仙石家中興の祖「仙石秀久」の墓を訪ね、お参りしてきました。

2011_06_11上田芳泉寺‐仙石秀久の墓

秀吉が小田原征伐により天下統一をなし、小諸城主となった仙石秀久。仙石氏は、天正18年(1590)から32年間、小諸城主として佐久郡一円を支配。その後、上田へ移封。上田在城は、元和8年(1622)から3代84年間。小諸・上田時代の116年という長期にわたり、小諸城や上田城の城郭や城下町の整備、中山道や北国街道の整備をはじめ、東信濃地域の近世の礎をなす功績を残しました。当時築かれた城郭や街や街道にも現在まで往事を忍ぶ姿が各所に残されています。しかし、宝永3年(1706)但馬(たじま)国出石(いづし)(兵庫県)という遠隔の地へ転封となったこともあり、仙石氏の東信濃におけるその歴史については、あまり語り継ぐものも少なく、いまだによく知られていないのが現状です。

小諸市観光協会-仙石秀久と小諸城

上田市博物館-上田城と仙石氏

小諸城甲冑隊

小諸城甲冑隊が始動しました。上田城甲冑隊の山内さんをお呼びして、真田六文銭の赤備えの鎧兜を見せていただきました。
小諸城甲冑隊
これがウワサの紙で出来た甲冑です。兜も鎧も軽量で、動きやすそう・・使ううちに修理をしたり、百戦錬磨の甲冑には、いろいろな所に工夫があって、試行錯誤の成果が形になっているのだなぁ・・・いろいろアドアバイスをいただきましたが、まずは試作してみましょう。せっかく造るのであれば、やはり仙石秀久にゆかりの甲冑も研究して形にしたいと思います。「小諸城甲冑隊」では隊員を募集します。興味のある方は連絡ください。
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小諸城址「懐古園」三の門に桜

懐古園の三の門と桜。日本さくら名所100選でもある懐古園、城址の二の丸から本丸、馬場の桜も見事です。
2010_04_26三の門-桜
 小諸城は、明治4年(1872年)の廃藩置県で役割を終え、明治13年(1880年)に城郭は払い下げ、小諸藩の旧士族の手により本丸跡に懐古神社が祀られ「懐古園」と名付けらました。
 その後、大正15年(1926年)に、造園の権威である本多静六の設計により近代的な公園に整備されました。三の門に掲げられた『懐古園』の扁額は、徳川宗家16代当主である徳川家達が揮毫したもの。懐古神社の参道には勝海舟の書による「懐古園の碑」、また佐々木如水筆塚には、山岡鉄舟、高橋泥舟の書が見られます。幕末から明治にかけて登場する人物が懐古園で繋がっています。
本多静六 - Wikipedia
徳川家達 - Wikipedia
幕末の三舟 - Wikipedia
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小諸市動物園

小諸城址「懐古園」に動物園があります。
多摩動物園から平成16年にやってきた「ライオン」、オスの「カイ」7歳(4月生)とメスの「ナナ」7歳(12月生)。
2009_09_16ライオン
小諸市動物園は、大正15年開園。長野県最古。
三の門から入り正面左側に進むと「御城米蔵門」跡、その奥に籾蔵が置かれていた城跡に動物園が作られました。
2009_09_16ヤクシカ
小諸城址は、明治13年(1880年)本丸跡に「懐古神社」を祀り、「懐古園」として公園となり、大正15年(1926年)本多静六の設計により「動物園」「遊園地」を備えた「小諸公園」として改良整備されました。
2009_09_16ツキノワグマ
三の門から動物園に向かう園路には、たくさんの「どんぐり」が落ちていましたが・・・ツキノワグマが興奮して柵に駆け上がっていたのは、実りの秋に、野生の血が騒ぐのでしょうか。
ほかにも、フンボルトペンギンやコンゴウインコ、ケヅメリクガメ、インドクジャク、カワカミケン・・・も撮影しました。
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秋空の小諸城址「三の門」

気持ちよく晴れ渡った朝の青空に誘われて、小諸城址「三の門」の写真を撮りに出かけました。
2009_09_10小諸城址-三の門
「三の門」は元和元年(1615年)に仙石秀久の子・忠政により創建されましたが、寛保二年(1742年)8月1日の洪水「戌の満水」によって流され、現在の門は明和二年(1765年)当時藩主の牧野氏により再建されたものです。小諸城は、大手門をはじめ、城内の石垣のほとんどが「野面積み(のづらづみ)」ですが、三の門は再建により建造された時代が異なるために、石垣の工法がほかと違います。この「三の門」の石垣は、石を加工して積んだ「切り込み接ぎ(きりこみはぎ)」で、「石のみ」の跡も見ることができます。
小諸城
小諸の歴史めぐり
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小諸城址「懐古園」二の丸・二の門

正面の石段を上ったところが「二の丸」。右側の石垣の上が「南の丸」。石垣にそって右に折れると「二の門」の跡、その先が「三の門」へ向かう坂へつづきます。
2009_07_23懐古園
 慶長5年(1600年)「関ヶ原の戦い」に向けて「中山道」を進軍する中山道隊を率いる「徳川秀忠」がここ「二の丸」を宿所にしました。そのときの小諸城主「仙石秀久」は東軍に。西軍についた真田昌幸・真田信繁(幸村)の上田城にある真田軍。上田城攻略のため、二週間ほど小諸城にとどまったといわれています。結局この上田合戦に失敗した秀忠軍は「関ヶ原の戦い」に遅参・・・。
 小諸城で秀忠が腰掛けたという石「徳川秀忠公憩石」があります。どんな思いで腰掛けていたのでしょう・・・。
関ヶ原の戦い - Wikipedia
上田合戦 - Wikipedia
仙石秀久 - Wikipedia
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小諸城址「懐古園」水の手展望台

眼下に流れる千曲川、赤い鉄橋は、大久保橋。展望台には、この春、新しく木道の橋と茅葺きのあずまやが整備されました。2009_07_23懐古園
千曲川は、手前から向こうへ流れています。流れる先の崖上には、布引観音。小諸城の水の手は、千曲川を見下ろす見張り台です。武田信玄のころ、天文17年(1548年)村上義清との合戦「上田原の戦い」「砥石崩れ」で武田軍は2度の大敗を喫しますが、合戦の舞台は何れもこの千曲川の下流、上田市に。武田軍の軍師・山本勘助が小諸城の縄張りをするときもこの場に立って考えていたのでは。

小諸城址「二の丸」

小諸城 - Wikipedia
上田原の戦い - Wikipedia
砥石崩れ - Wikipedia
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小諸城址「懐古園」富士見の展望台

展望台から見下ろす右下の崖の足下に千曲川。千曲川は、向こうから手前に流れています。遠くに富士山を眺めることができます。
2009_07_23懐古園
武田信玄のころ、武田の武将もここで富士山を眺め、遠い甲斐の国を思ったのでは・・武田氏の躑躅ヶ崎館跡のある甲府まで約100km。小諸から甲府まで武田軍は「のろし」を使って約2時間で連絡をとっていたといわれています。

小諸城址「二の丸」
小諸城址「水の手展望台」

小諸城 - Wikipedia
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